古代中世の支那王朝は、長い歴史の中で朝鮮半島を忌み嫌い決して自国領土にしなかった。 紀元前のBC107年、前漢が漢四郡に軍隊を置いたが、得るものは何もなく漢は朝鮮から手を引いた。中共指導部側は、朝鮮の根元の吉林省に人民解放軍を置いたのを本当は嫌がっている。無駄な金がかかるし、
得るものが何もないからだ。
古代中世の歴代支那王朝は朝鮮を属国として、琉球王国より格下の土の印鑑を送り 馬鹿にして朝貢させるだけで、朝鮮を汚物扱いし無関係状態にした。 ちなみに支那王朝は日本へ一目置いて純金製の印鑑を贈った。
そもそも朝鮮の名前の由来がおかしい。 国名や地域名を自分では決める事は許されず、使用文字の候補を提示し支那王朝に決めてもらう。その結果、支那王朝側からの回答は「朝貢の貢物が鮮(すくない)」だ。それで国名地域名が朝鮮になった。 チョンは、「朝が鮮やか」と無理やり天気の話に脳内回路変換しているようだが。
朝鮮という国名や地域名が周辺国へ定着した後の朝鮮とは、どんなイメージなのか? 古文書では、封建時代の日本語で国名地域名以外に「朝鮮」、「韓人」を使用すると「有毒、農地荒廃」、「奸計、謀反人」と同じ意味だ。現代の中国語で国名地域名以外に「朝鮮」、「韓国」を使用すると「仇」、「弊害」と同じ意味だ。
現代の人間関係では、支那人が同じ支那人へ「お前は朝鮮人だ。」と言うと最低の侮辱になる。米国裁判で「お前は朝鮮人だ。」と朝鮮人へ言うと名誉毀損罪になる。 「朝鮮」、「韓」とは不吉な意味が含まれている。
なぜ朝鮮はそんなマイナスイメージなのか?それには歴史がある。地政学や歴史に無知な王朝が、 朝鮮半島と仲良く濃密な人材交流したり、喧嘩すると、なぜか決まって滅亡する。モンゴル帝国や豊臣秀吉、ソ連、乙巳の変、暗殺、政変、戦争などなど、 朝鮮と関わった災難を挙げればきりがない。朝鮮の祟りで王朝滅亡後に、しがらみのない次の新しい王朝は、 朝鮮を軽視した条約を交わし、無事に無関係になる。朝鮮外交史とはそうだ。
朝鮮とは関わらないほうが良いということだ。
男女2人刺傷、韓国籍の男逮捕、「生粋の日本人ならば、何人も殺そうと思った」
http://s1.gazo.cc/up/61546.jpg
茨城・龍ケ崎市で在日朝鮮人 李裕美(野口裕美)が小学五年生を意識不明重体になるまで殴打して逮捕!
http://i.imgur.com/NiQWrSq.jpg
「竹島はどこの領土か言ってみろ~」 バット持った集団が”日本人狩り”…韓国、急激に治安崩壊
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130717/frn1307170728000-n1.htm
“反日むき出し”韓国の子供たち 日本人の子供に投石
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/gaishin/670620/
http://www.youtube.com/watch?v=ffqz1ctYnjI
これを見て食べることができますか?
http://s1.gazo.cc/up/61547.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=VluVJ6KgpSM
これが真の韓国人!必見↑
■韓国の文化
新婚初夜覗き
新婚初夜覗き(しんこんしょやのぞき)とは、
新婚初夜の寝室を覗き見する韓国の伝統的な風習である。
韓国語では、シンバンヨッポギ(신방엿보기)という。
シンバン(新房)とは新婚夫婦の初夜の寝室のことで、ヨッポギは
覗きという意味である。
韓国では伝統的に、新婚初夜には親戚や近所の人々が
寝室の障子に穴を開けて中を覗き見する習慣があった。
覗きの習慣が生まれた理由については、早婚が盛んだったため
幼い夫婦が失敗しないように見守るためであるとか、
新婚夫婦を悪鬼から守るためなどといわれている。
最近では住宅事情の変化などにより、覗きは行われなくなってきている。
集団変態じゃないか・・・。幼い夫婦が失敗しないようにって、どこまで
子離れできない民族なんだよ?新婚夫婦を悪鬼から守るって、チョン
そのものが悪鬼みたいなものなのにねwww
韓国の新郎いじめ
新郎扱い(しんろうあつかい、신랑다루기)は、
新郎を集団でいじめる大韓民国の伝統的な風習である。
結婚式の後で新郎が新婦の家に初めて行った時に、新婦の親戚や
近所の人達が集団で新郎を取り囲み、肉体的精神的ないじめを行う。
地方によって、いじめ方が違うが、次のようないじめが行われる。
新郎の足首を縛って、逆さ吊りにして、棒で足の裏を殴り続ける。
ひどい場合には、殴られた新郎は歩くのが難しくなることもある。
また、新郎に漢詩を作れと強要し、下手だとケチをつけて馬鹿にする。
新婚夫婦の性的な事を根掘り葉掘り問い詰めたり、あれこれと質問
責めにする。
宴会の金を持ってこいと言う。などのいじめが行われる。
そうするうちに新婦の家で料理や酒を持ってくると、いじめをやめて
宴会となる。現代では披露宴の会場でいじめが行われることもある。
だから何の意味があるんだ?ただ虐めて金をセビリたいだけだろ?
チョンは結婚というものを何だと思ってるんだ?家と家との結びつき、
子孫を残すために一族の結束を固めるための神聖な儀式なんだぞ。
古臭い考え方だと言われるかもしれないが、「男と女が一緒になりま
した」という単純なものではないのだ。それなのに、新郎イジメとか
集団覗きなんて、神聖な結婚を馬鹿にしているとしか思えない。
歴史も文化もない民族の価値観とはこの程度なんだね。
シバジ
シバジ(朝鮮語:씨받이)とは、朝鮮半島において、李氏朝鮮
中期以来存在した風習の一つで、家の跡継ぎとなる男子を得る
ために、子供を生むための女性を雇うこと。また、それに従事す
る女性をさす。現代においての代理母と似た概念である。
日韓併合後に禁止された。
씨(シ)が「種」を、받이(パジ)が「受けること(もの)」を意味する
ことから、日本語で「種受け」と訳されることがある。なお、動植物
の採種も同じ語で表すことがある。
試し腹
父親が自分の娘が妊娠できるかを確認する為に、性行為をして
孕ませる行為。
昔の朝鮮では 父親の権利が絶対だそうです。
女は女房でも 娘でも奴隷扱いだったそうです。
嫁に出す娘が、確かに妊娠できる事を証明するために
親兄弟で強姦して妊娠した状態で嫁に出す。生まれる子供は
奴隷身分。 大人まで生き延びる確率も少ない
生まれてこなければ良かったとの苦しみの一生を過ごすことになる。
「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、
「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。
故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明する
ために、 「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる」。
これを「試し腹」と言います。
産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、
妻と同じ奴隷的な身分しかなく、 結婚はおろか大人になるまで
成長する者も稀だったと言われています。
自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女
と証明させて 嫁がせる儒教思想が暴走した悪しき習慣だそうです。
儒教思想全然関係ないだろ・・・。こんな腐った思考に利用されたの
では、孔子様が可哀想だ。論語に「女を道具扱いしろ」だなんて、一言も書いてないぞ。馬鹿なシナチョンの中華思想のせいで、儒教そのものが
誤解されているが、孔子の「論語」には人生の摂理がある。日本人は
その教えを活用して、誇り高く美しい日本を作り上げたのだ。シナチョン
は孔子の言葉を暗記できれば、それで官僚になれるというシステムを
作り上げてしまった。それが逆に、口だけで何も実行できないクズばかり
が増え、国が弱体化する要因となったのだ。論語に、「仕事を一生懸命
やって慎ましい行動を取れば、野蛮人の国に行っても迫害されることはない」という言葉がある。今の日本人がまさにそうであろう。今のシナチョンは百年前と全く同じで、口先だけで外国の人をこき使い、外国人を侮蔑している。孔子も草葉の陰で泣いているよ。
奴隷制度
奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。
かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が
殴っても 犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。
それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを
性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち
据えられたり、 ひどい場合は打ち殺されることもあった。
外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女
たちは、 売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、 李氏朝鮮末期には、水溝や川には流れ落ちないまま、何かに引っかかっている 年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。
局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に 奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。
李氏朝鮮時代の身分制度
この時代(1392年―1910年(ただし、1897年からは「大韓帝国」で
あったが、実体は李氏朝鮮時代))の身分制度も高麗時代のものを
継承した。 身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。
「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負い、
さらに「両班(文班、武班)」、「中人(下級役人、技術官など)」、
「常民(農民、商人、職人)」に分けられた。
「賤民」は「奴隷―奴婢」と「白丁(ペクチョン)(動物の屠殺に従事する者)」、 「才人(広大ともいう)(芸人)」、「官妓(役所に所属する酌婦)」、
「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、「砲手(猟師)」、「水尺(スチョク)
(狩猟民)」、「駅卒(駅の使用人)」、「巫女」、「僧侶」など多岐にわたっていた。
「奴婢」は「公奴婢―国家に所属するもの」と
「私奴婢―個人に所属するもの」に分けられていた。
さらに奴婢は「公奴婢、」「私奴婢」とも「入役奴婢」と「納貢奴婢」とが
あった。 「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければ
ならないが、 「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら
一定の身貢をする義務があった。
「奴婢」は売買、贈与、相続の対象となった。
つまり、財物として扱われていた。
父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。
「両班」が罪を犯し「奴婢」になったり、
「奴婢」が軍功などで「中人」、「常民」になったりすることもあったが、
極めてまれで身分間の移動はなかった。
豊臣秀吉の朝鮮征伐
文禄の役(1592年―朝鮮では壬辰倭乱(イムジンウェラン)・
慶長の役(1596年―朝鮮では 丁酉再乱(チョンユウチェラン))の
ときに、ソウルの王宮(景福宮)が放火され炎上したが、 これは
秀吉軍のものではなく(朝鮮では秀吉軍が放火したと捏造している)、
奴婢が登録簿を滅失させるために行ったものである。
日本の名誉のために当時の文書から引用する。
「城中を観望すれば、火起こりて煙焔天に漲る。 蓋し乱民先ず、
堂隷院刑曹を焚く。その公私奴婢の文籍在る所を以ってなり・・・・」
(朝鮮史第四編第九巻宣王25年4月30日)。
奴婢制度は、1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた。
廃止させたのは当時の日本政府である。
しかし、なかなかその偏見は収まらず、
現在でも「五姓」といって賎民の子孫とされる「姓」があり、
結婚・就職などの障害が見られる。
そりゃ、当たり前だ。いくらアバラ屋のような王宮とはいえ、屋根がある
広い屋敷は兵たちの休憩施設になるし、王宮を制圧することは戦略的
にも価値がある。それをなぜ、秀吉側が燃やす必要があるというのだ?
敵側に利用されないために朝鮮の方が、焼いて利用できなくするのが兵法上の常識だ。もっとも、秀吉軍入った時には朝鮮軍は一兵もいなかったらしいけどね。奴隷として酷使された人々は、秀吉軍が来た時には喜んで歓迎したという。もちろん現代の朝鮮では教えられてないけどね。
それに欺かれる者は誰もいない。
なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、
いまだかつて、ないからである。
彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで
済ませてしまう。しかも、 この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」
スウェーデン人 アーソン・グレブスト
李氏韓国の残酷な死刑や拷問に対して
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、
人間存在そのものへの挑戦である。
とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、
異教徒の日本人が半島を手中にすれば真っ先に
このような拷問を廃止するだろうということだ」
アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ
「悲劇の韓国」 「韓国は古くから中国の属国だった。
国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、
外交政策は中国に指導を仰いでいた。」
フランス人宣教師 シャルル・ダレ(韓国事情・平凡社東洋文庫)
1871 年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が半島を襲い、
国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには 、
娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの
韓国人は、 惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、
「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、 半島国王は、中国や日本からの食料
買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置して
おく道を選んだ。」
喜べよ、チョン国の愚民ども。もうまもなく、上のような地獄の生活
が貴様らの日常になるからな。北朝鮮と同じく、貧窮と飢餓に苦しめば
いい。それでも日本の統治よりは幸せなんだろ?日本人はもう絶対助けたりはしないから、思う存分畜生以下の生活を満喫してくれ!
「半島の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。
両班は、金がなくなると、 使者を送って商人や農民を捕えさせる。
その者が手際よく金を出せば釈放されるが、 出さない場合は、
両班の家に連行され投獄され、 食物も与えられず、
両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。
両班の中で最も正直な者たちも、 多かれ少なかれ、
自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、