【韓国仏像窃盗】浮石寺「韓国が仏教を伝えたのに、日本人は寺を燃やし仏像を奪った。返して欲しければ贈られた証拠を出せ」
- 長崎・対馬の寺から仏像を盗んだ韓国人窃盗グループの裁判が韓国テジョン地裁で 6月28日(2013年)に開かれ、7人のうち6人に懲役1~4年の実刑判決が言い渡された。
当然のこと、盗まれた仏像は日本へ返還されるものと、「朝ズバッ!」スタッフが韓国を取材したところ、 盗んだものでも韓国由来のものは返さないという変な理屈で煙にまかれてしまった。
判決後に取材に応じたテジョン地裁のジャン・ドンヒョク公判判事は、
「判決は仏像の所有権関係や返還については言及していません」という。
窃盗事件で所有権関係を言及しないのはおかしいのだが、 韓国慶尚北道栄州市にあるプソクサ(浮石寺)が「仏像はプソクサのもので日本の倭寇に略奪された」 と主張し、返還差し止めの仮処分申請しているために返還を渋っているのだ。
ジャン判事はその理由を「仏像が日本に返還されれば、プソクサの所有だと最終判断がなされたときに すでに仏像はなくなっていて、プソクサの所有権を行使できない恐れがある」と語った。
倭寇が略奪したものかどうかも分からない何百年も前のことをどう証明するのか。 最終判断などできない可能性がある。
取材に応じたプソクサの僧侶の言い分も呆れる。 「韓国は日本に仏教や仏像を伝えました。それなのに日本人は寺を燃やし仏像を奪っていきました。 過去の歴史を日本は認める姿勢はあるのかということです。 返還して欲しければる略奪ではなく友好的に贈られたことを日本側が証明すべきだ」
何百年も前の歴史を持ち出し屁理屈をつける。韓国の常套手段かといいたくなるが、 それが罷り通る素地として、日本にある韓国由来の文化財を狙った窃盗ビジネスが横行している背景があるようだ。
韓国の窃盗ビジネスを取材しているジャーナリストの菅野朋子さんによると、 「狙われているのは韓国由来のもので、韓国でも価値のあるもの。日本から盗んできた文化財を見てみると、 朝鮮半島に由来しているものが多い。盗んでくる人と流通さる役割の人が別々にいてビジネスが成り立っている」という。
1994年に長崎県壱岐で盗まれた高麗版大般若経(国の重要文化財)と酷似したものが、 翌年に韓国で国宝に指定され発見された。日本政府が韓国政府に調査を要請したところ、 「個人所有になっているために要請に応じるのは難しい」と断ってきたという。
韓国は泥棒を公然と容認する国に成り下がってしまったのか。司会のみのもんたがこうつぶやいた。 「(韓国が)地球上にこれからどういう存在になっていくかよく考えたほうがいい」
お前ら、鑑定書自分で棄てたとかほざいてただろ。
【韓国】対馬から退散の浮石寺僧侶「知らせたのに出迎えもなく門前払い…。仏像の鑑定書は捨てた」★2[03/15]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1363358011/
おまけに借金のかたになってた言う有様だったし。
【対馬仏像窃盗】長崎県対馬市の神社仏閣から盗まれた仏像2体が韓国で「借金のかた」になっていた 韓国人被告ら証言
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1367464654/
>日本人は寺を燃やし仏像を奪った。返して欲しければ
贈られた証拠を出せ」
まず日本人が寺を燃やし仏像を奪ったという
証拠を出せよバカチョンw盗まれたものを返して
から所有権訴えろよ、チョン破戒僧が!
「朝鮮王朝実録」に李氏朝鮮時代に儒教崇拝
政策で、仏教寺院と仏像を破壊したと描いてある
のに、チョンはまた嘘をつくのか。
そもそも日本に大量に仏像があるのは、日本では
仏教が世界で一番発展して、職人たちが大量の
仏像を作ったから。
馬鹿チョンでもわかる浮石寺の歴史
671年(文武王11年)に留学先の唐から新羅に
戻り、 海東華厳宗の創始者になった義湘が王命
に従い、 676年(文武王16年)に浮石寺を建立した。
高麗時代の1016年(顕宗7年)、円融によって無量壽殿が再建されたが、後に焼失。現在の建物は1376年に再建されたもの。
李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、 存続を許された88の寺院の中に浮石寺の名前はない。
世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、 存続を許された36の寺院の中にも浮石寺の
名前はない。
少なくとも15世紀初頭
には、浮石寺は廃寺に
なっていた。ここメモして、千回くらい書き取りしろ!
バカチョン!
日本が朝鮮の寺院を焼き討ちした事実があると
いうのなら、きっちり証拠を示してもらおうか。
信長の叡山焼き討ちじゃないんだから。
もともと朝鮮仏教は、李氏朝鮮の歴史で弾圧されて、消滅寸前の廃墟だった。朝鮮の仏教宗派は
例外無く、明治以降の日本からの再布教及び援助で、仏教としての 体裁を取り戻したという事実がある。そもそも日本の援助が無かったら、チョン国なんて今頃は、ロシアか中国の一部に過ぎなかっただろうに。
■朝鮮の仏教弾圧の歴史…僧侶は奴隷と同じ身分に…仏像は没収して溶解した■
李朝三代目の国王太宗の時には、仏教大弾圧が断行され、高麗朝の時代に1万以上の 寺院があったが、この時期に何と「242寺院」までに減らしている。
さらに寺院に属する、土地や奴隷などを続々と没収していった。 次の国王世宗の時には、全宗派を禅教二宗に統合して、それぞれ「18寺院」だけを残して、
残りの寺を廃寺とした。
儒教は基本的に、人間の内側の精神を糺すことを目的としていたため、日本の神仏融合の ような柔軟かつ寛容に仏教に接することなく、宗教そのものを蔑視し、攻撃の対象としたのである。
李朝九代目の成宗の時には、出家禁止令が出され、李朝十一代目の中宗の時には、 国中の仏像を没収し、溶解した上で武器をつくるなど非道な行いをしている。
この頃になると、僧侶は漢城(ソウル)から出ることが許されず、労役に付くことを 強制され、奴隷と同じ賤民の範疇であった。
今だに韓国では、韓国の寺院は秀吉やら日帝に破壊されたと妄言を吐く輩が後を絶たないが、実際は上のように、自分たち自身で仏教を弾圧してきたのが真実である。
日本に歴史学べって言う前に、自分らが歴史を学び直したらどうだ?バカチョンども!「歴史」はチョンの「願望投影機」じゃないんだぞ。シナは「政治の道具」にしてるけどね。