珍島旅客船沈没!船長-航海士-機関士、先に脱出疑惑
珍島旅客船が沈没した惨事で船長と航海士、そして機関士の不適切な対応が論議をかもしている。(中略)
事故後、乗客の脱出と安全について最後まで責任を負わなければならない船長と、航海士と機関士が先に脱出したという疑惑が提起されて、激しい論争となっている。
朝鮮日報は事故後、航海士とのインタビューを進めた。
取材陣が「何故船が沈没したのか」と尋ねると航海士は「心の余裕がなくてよく分からない」と答えた。
引き続き取材陣が「船長と航海士、機関士が先に脱出したと聞いているが本当なのか」と質問すると航海士は「そうだ」と答えた。
また「乗客に案内放送をしたのか」という質問に対して航海士は「乗客に部屋に入っていろと言う放送を聞いたようだ」と話した。さらに「航海士は普通、沈没の時は船長および職員が最後に脱出すると理解しているが、何故先に出てきたのか」と尋ねると言葉を失った。
船長以下、重要な船員がいち早く逃げてしまってるんだもの。大事故になって当たり前だよなw 「死ね!」とまでは言わないけど、人命を助けるための努力を少しくらいはしたらどうなんだ?遺族の人に殺されるぜw
>船長と航海士、機関士が先に脱出したと聞いているが本当なのか」と質問すると航海士は「そうだ」と答えた。
お笑いにもならない。本来ならこいつらが避難誘導すべき立場の人間だろwww 事故が起きた時点で救命筏を出して、乗っている人たちを誘導していれば、これほどの被害にはならなかったんじゃないのか?
韓国旅客船沈没:「水、一瞬で天井に」…修学旅行暗転
韓国南西部珍島沖合で起きた大型旅客船「セウォル号」沈没事故。船体は徐々に傾き、完全に沈没するまで約2時間かかった。海はそれほど荒れていないにもかかわらず、なぜ救助できなかったのか。救助された人々が運び込まれた珍島郡の体育館には、安否を気遣う家族らの怒りが渦巻いていた。
旅客船の客室部分は3層に分かれており、一番下に食堂や売店、娯楽室があった。食堂でアルバイトをしていた男性(19)は、衝撃音を聞いた後、「水が一気に入ってきて、一瞬のうちに天井の高さまで水が上がった」と、韓国メディアに話した。男性はたまたま天井部分に穴が開いているのを見つけて船外に出て救命ボートに乗り込んだという。
衝撃で倒れた自販機などに挟まれ船内に取り残された人もいた。救助された男子高校生は「自販機が倒れ、女子学生2人が足を挟まれていた。(自分が脱出した時にも)まだ船内には多くの人がいた。何人もの友人と連絡がつかない」とぼうぜんとした表情で話した。
事故直後、船内では「動かずに救助を待て」という放送が流れたという。この放送で多くの乗客が逃げ遅れた可能性もある。船外に飛び出して救助された男性乗客(57)は「水が最初に入ってきた船の一番下にいた人たちは(放送で一歩遅れて)逃げられなかったのではないか」と語った。
首を負傷したヤン・インソクさん(49)は「船が傾き始めた中でも『そのまま落ち着いていてください』との放送が流れた」と証言した。そのため、ヤンさんは船内にとどまったが「沈没しそうなので海に飛び込むように」と、突然、それまでとは別の内容の放送が流れたため、慌てて脱出したという。脱出を促す放送は「最後の段階」だったと話す。
乗客乗員約460人のうち、325人は修学旅行で乗船したソウル近郊の高校2年生だった。生徒の保護者約300人が16日、高校の用意したバスで珍島に入った。
救助された人々が運び込まれた珍島郡室内体育館には、連絡を待つ家族らが集まった。救出者名簿を1人ずつ指で追う女性や、ハンカチを握り声を震わせる女性、報道陣に「出て行け」と水をかけて声を荒らげる男性もいた。
9時に座礁した時点で甲板に出るように指示。救命筏やボートに移動していれば、300人近い犠牲者を出さずに済んだはずだ。そういう訓練を積んでるはずではないのか?いち早く逃げ出して、インタビューに答えてるなんて、キチガイ以下だなwww 人間じゃないよ!
西海フェリー沈没事故は、1993年10月10日10時10分頃、韓国全羅北道扶安郡蝟島(韓国語版)沖の黄海で発生した転覆沈没事故である。乗客乗員362人中、死者行方不明者は292人。当時、蝟島の気象は北西の風毎秒10~14m、波高2~3mの悪天候。定員221人の2倍近い362人を乗船させる過積載、航海士未搭乗に伴う甲板長の代理業務、船長の乱雑な操船、避難誘導係は2名のみ、船に取り付けられた救命ボート4台のうち1台しか動作しなかったことなども、被害拡大に繋がった。
大邱地下鉄放火事件は、2003年2月18日9時53分(現地時間)頃、大韓民国大邱広域市で発生した地下鉄列車への放火事件。192人が死亡、148人が負傷する大惨事となった。
最初に架けられた橋は、東亜建設が施工。延長1,160メートル、幅19.4メートルの4車線橋で] 、1977年 4月に着工し、1979年 10月に完成した。しかし、わずか15年後の1994年 10月21日 に橋の中央部分およそ50メートルが突然崩壊。通行中の乗用車 や漢星運輸 所属の16番市内バスなどが巻き込まれ、32人が死亡、17人が重軽傷を負った。
原因は施工段階での手抜き工事で、建設会社と市側の監督責任者が刑事訴追された。また、当時のソウル市長李元鐘
が、当時の大統領
金泳三
によって更迭されている。(後に忠清北道
知事になり2006年
まで職務を行っていた)。
この事故の翌年には、三豊百貨店
が手抜き工事による崩壊事故を起こし、併せて1995年7月に災難管理法が制定されるきっかけとなった。1997年
7月3日
に再開通したが、2001年
の調査でも手抜き工事が発覚している[
~韓国のサンプン百貨店崩壊~
http://www.sydrose.com/case100/402/
これらの事故からの教訓から、全然学習していないwww 利益追求の客室増設、船長や船員の教育などを徹底していれば、被害は大きくならなくて済んだはずなのだ。百貨店の崩壊事故も、朝から異変に気がついていて、三時には会議を開いて閉店しようという話も出ていたのだ。なぜ人命を一番最初に考えられないのか?その浅ましく卑しい民族性が、被害を大きくしたのだ。
アシアナ航空事故の時もそうだった。機長やパイロット、乗組員の教育が徹底していれば、事故も発生していなかったし、死者も出なかったはずだ。船が日本製だとかにこだわっている場合じゃないだろう。過去の事故の教訓を生かして、利益追求だけの運営を止め、社員の教育や道徳心向上に力を注ぐべきだ。そうしないと、過去の事件で亡くなった人達の死が無駄になってしまうから。