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Channel: 憂国の志士のブログ
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民間人が武器を持てばどうなるかは、アメリカが実証している。武器を持つことは「野蛮」な事なんだよw

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日帝は、なぜ朝鮮に「弓禁止令」を出したのだろうか?

http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_9/view/id/2540071

 

 日本植民地時代が始まったばかりの1910年に、銃剣を持った軍警を動員した、日本のいわゆる「無断統治」が始まった。そのときに日本が早急に下した、勅令の一つが「弓禁止令」だった。これは、治安関連の法令として下された措置で、民間で弓を防止する命令だった。


 以後、旧韓末までソウルにたくさんあった「矢場」は、日本植民地時代を経てなくなり始め、世界的に名声を得ている韓国のアーチェリーに比べて、国弓は今日では、命脈だけが残っている状況である。

 

 事実、1910年には、すでに弓は正式兵器から離れた時代で、朝鮮でも1894年の甲午改革以降は、義兵たちもほとんどが個人火気である銃で武装した状態だった。アーチェリーはスポーツ程度だと考えられている時代だったが、それにも日本が弓を禁止しようとした理由は、弓が上手なら、それだけ銃も上手になるからである。


 朝鮮人たちは本当に老若男女を問わず、ほとんどが弓の名手であり、このような人々に、弓よりもはるかに撃ちやすい銃を持たれると、その破壊効果は倍になるしかなかった。朝鮮総督府の立場では、もし朝鮮で大規模な騒乱が発生し銃が民間に大量流出した場合、すぐに大規模な義兵が立つ可能性があるという状況を、憂慮したものである。

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 旧韓末まで続いていた朝鮮の弓文化を見てみると、日本の懸念が単なる杞憂ではなかったことを知ることができる。朝鮮人たちは老若男女誰でも弓が上手で、13歳以上から弓を学んだという。


 武科試験準備生はもちろん、文科で勉強をしているソンビも、弓術は儒学者の徳目の一つの六芸に属しているとして厳しく修練し、高齢者のスポーツだったのはもちろんのこと、さらにはキーセンまで弓で賭けをするほど、朝鮮は「弓の国」だった。

 

 韓民族の始祖とされる東夷族の「夷」の字も、弓が上手な人々であることを示す文字として知られており、朝鮮時代に至っては朝堂が積極的に弓を推奨した。北方の女真族と南海岸一帯の倭寇の問題により、民間人も積極的に地域防衛に乗り出す必要があるという提案に基づいて、世宗大王の時代には辺境の住民は皆、弓を身につけた。
 
 世宗実録には、北の辺境の13歳以上の住民はすべて弓を身につけていて、村ごとにただ立って射る歩射、と馬に乗って射る騎射、馬に乗って槍をあやつる騎槍など、3科目の試験をして村ごとに30人余りを選んで、等級別に賞を与えるよう指示した記録もある。

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 続いて世祖実録には、当時の文臣の梁誠之が「朝鮮の人民は100万戸で、そのうち弓を射る人が30万人で、精兵が10万人で、勇者が3万人」と告げたという内容がある。

 

 世祖も弓術を奨励し宮司100万人を育てて、野蛮人を制圧すると誓約したという内容があることから、すでにこの時から家ごとに、有事の際に弓兵となれるレベルに、弓を使いこなせる人が多かったと推定される。壬辰倭乱と丙子胡乱など戦争を経て、民間の弓はずっと奨励され、武器が火縄銃に変わった後も、まだ装填速度の面で火縄銃よりも優れていた弓は、正式兵器として愛用された。

 
 弓が上手な民族らしく、銃もうまく扱っただけに、朝鮮人の射撃は東アジア一帯で有名で、丙子胡乱当時も、多くの清の兵が狙撃を受けて死ぬこともあった。清が後の征伐時、朝鮮兵の派遣を要求したのも、それだけ、朝鮮軍の射撃能力が優れていたことを示す部分である。

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 旧韓末には、国王の高宗の積極的な奨励の下、やはり軍と民間の両方で大流行した。これは、ドイツから来た王子の影響も大きかった。 

 

 1899年6月には、当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の弟のハインリッヒ王子が、ドイツ帝国の東亜艦隊司令官の資格で帝国を公式訪問した際、高宗に朝鮮の弓術が大変印象的で、価値のある武術だと評価していた。彼は朝鮮の伝統弓術を見て大きく感心して、直接弓を射るところを見たとも伝えられている。

 
 高宗は当時軍事強国として知られていて、ドイツの王子が朝鮮の伝統武芸の弓術を賞賛したことに非常に感激したのか、王子が去った翌日に、すぐに弓術を奨励するように指示を出す。その年の秋に作られた矢場が、今日も残っていてる慶熙宮の北に位置する黄鶴亭である。
 
 このような朝鮮の事情を知っていた日本の立場では、朝鮮の弓を禁止させなければならなかったわけだ。

 

 ここまでくると、もはや「手の付けられないほどのキチガイ」レベルとしか、表現の仕様が無いなwww 日本を見下したいからって、こういうネタしか書けないって、逆に「哀れ」でしかないけどなw そこまで弓の名手が多かったのなら、日本に侵略されることは無かったんじゃない?しかも、千年前ならいざ知らず、百年前だと、もはや「機関銃」が戦力の主流になりつつある時代だぜw 弓を持った百人と、マシンガンを持った一人。どちらが強いかは、子供でも分かるだろうにwww 

 

>銃剣を持った軍警を動員した、日本のいわゆる「無断統治」が始まった。これは、治安関連の法令として下された措置で、民間で弓を防止する命令だった。

>以後、旧韓末までソウルにたくさんあった「矢場」は、日本植民地時代を経てなくなり始め、世界的に名声を得ている韓国のアーチェリーに比べて、国弓は今日では、命脈だけが残っている状況である。

 

 チョン国では「銃刀法禁止」の法律が無いんだろうなwww 火病持ちのチョンに刃物や凶器を持たせたら、危険で仕方がないだろうw ましてや、「植民地支配」されてたんじゃないのか?植民地の原住民に、武器を持たせる支配者なんて、どこの世界に存在するんだよw 日本では400年以上も前に、秀吉の「刀狩り」で武器を没収されたけど、「弓道場」と「弓道」はシッカリ残ってるぞw 朝鮮に存在していなかった「文化」を大きな声で叫んだって、世界に恥を晒すだけだぜwww

 

>壬辰倭乱と丙子胡乱など戦争を経て、民間の弓はずっと奨励され、武器が火縄銃に変わった後も、まだ装填速度の面で火縄銃よりも優れていた弓は、正式兵器として愛用された。

>丙子胡乱当時も、多くの清の兵が狙撃を受けて死ぬこともあった。清が後の征伐時、朝鮮兵の派遣を要求したのも、それだけ、朝鮮軍の射撃能力が優れていたことを示す部分である。

 

 火縄銃を買う「金」も、造る「技術」も無かったんだねwww 「水車」さえも、コピーして流用することも出来なかった民族だからなw 「装填速度」って・・・。それが重視される世の中なら、他の国でも弓矢が重要視されてたんじゃないか?「シナ人を殺した二ダ!」と誇らしげに語りつつ、シナ人に「奴隷」としてこき使われた事実を「ウリが優れてるから二ダ!」と誤魔化すチョン。今と変わらず、「弾除け」として扱われていただけだろうにwww

 

>高宗は当時、軍事強国として知られているドイツの王子が、朝鮮の伝統武芸の弓術を賞賛したことに非常に感激したのか、王子が去った翌日にすぐに弓術を奨励するように指示を出す。

>このような朝鮮の事情を知っていた日本の立場では、朝鮮の弓を禁止させなければならなかったわけだ。

 

 ドイツの王子に褒められる前までは、弓術を奨励してなかったって事だねwww 王子としては「これ以外に、誇れるものは無いんだろうなw」と、呆れていただろうねw 日本に統治されたのが、よほど悔しいんだろうな。人間的に扱われたのが、そんなに嫌だったのか?植民地支配された国では考えられないほどの「優遇措置」だったと思うけどねw 日本の植民地支配が、チョン国の近代化を進めたのを必死になって否定してるけど、日本がいなかったらチョン国なんて今頃は、北チョンと同じ環境に陥っていてるだろwww

 

 チョン民族ではまともな国家運営が出来なかったから、日本が代行しただけ。日本が統治していなかったら、シナの「属国」かロシアの「植民地」になっていただろw その方が、日本は余計な金を使わずに済んだんだけどなw そういう大恩を受けた身にもかかわらず、今の世になっても謝罪と賠償を叫ぶしか能が無いチョンに、日本人は心底嫌気がさしてるんだよ!もはや日本が、チョンに援助する事は絶対にない。チョンと仲良くしようと言う輩は、チョン国に追放してしまえ!!!

 


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