加藤達也・前ソウル支局長の手記 ~ソウル地裁法廷に充満した異様な空気…検事の手は震えていた
ソウル支局長として滞在していた韓国で、インターネット上に掲載したコラムがパク・クネ大統領の名誉を毀損したとして、私は起訴された。「容疑者」「被告人」から無罪に至る500日間、特派員としてパク政権と韓国検察を見続けた。そこには自ら泥沼の中にはまり込み、もがいている韓国の姿があった。
22日夕、東京・大手町の産経新聞編集局で、韓国の検察当局がソウル中央地裁の無罪判決を受け入れて、控訴を断念したという一報を聞いた時、まず浮かんだのは喜びの感情ではなかった。
その5日前の17日、判決を受けてホッとしたのとは対照的な思いだった。無罪確定を受けて思い浮かんだのは、1年以上前の2014年11月27日、ソウル中央地裁の初公判の法廷での光景だった。その日午前10時前、私は裁判官のひな壇と向かい合うように配置された、長い腰掛けに弁護士と並んで座り、判事団の入廷を緊張しながら待っていた。
やがて、書類の束を1メートルほど積み上げたショッピングカートを重そうに引きながら男性が廷内に現れ、検事の机の上に束を次々にドン、ドンと音を立てて置いていった。男性は検察関係者とやり取りすると、机上の書束をまたカートに載せ、机には厚さ20センチほどの書類を1部だけ残して出ていった。
隣の弁護士が私の耳元にささやいた。「あれは虚勢、はったりですよ。検察はこれだけ調べた。被告を有罪にするから覚悟しろというパフォーマンスです」。相手を内面から揺さぶる心理戦が既に始まっているのかと感心したが、開廷後、検察による起訴事実の読み上げが始まると、今度は検察の虚勢が崩れていくのを目撃した。
検察側の筆頭を務めたのは、コ・ピルヒョン検事だった。コ検事はソウル中央地検刑事第1部に所属し、私に対する告発を受理して捜査を担当してきた。韓国検察にも、法廷での立証を担当する公判部があるが、重要事件の場合は取り調べ検事が身分をそのままに、法廷に出てくる事があるという。
私は取調室で、パク大統領への「誹謗の目的」を認めさせようとする検事との応酬の間、コ検事の指先の動きが、ピアノを弾くように滑らかな事に気づいた。小指は反り返らせたまま使わず、左右計8本の指でカタカタとリズミカルに調書を作成する姿は、プライドの高い神経質そうな性格を感じさせた。
だが、初公判で見たのは全く別の姿だった。起訴事実が記載された文書を持ったコ検事の手が、大きく震えているのだ。私はコ検事の震える手を見ながら、いろいろな事を思った。
検事もやはり緊張しているのか。告発した右翼の男らがわめき散らし、40人の立ち見傍聴人まで出た、異様な法廷の空気にのまれているのか。それとも、大統領の顔色を見た法務・検察幹部から、筋の悪い事件を公判まで背負わされた重圧か-。
恐らくは、その全部だったのだと思う。コ検事の“震える手”は、その後の審理での検察の窮状を象徴する出来事として、記憶の底に定着する事になった。
検察は実際に苦しんでいた。有罪の立証趣旨に合った、言論の専門研究者を証人として連れてくる事もできず、裁判長から証人の準備状況を問われて「現在調整中です」と応じる姿も苦しい。弁護側証人への尋問では、被告の悪意立証の証拠として日本のネット掲示板「2ちゃんねる」の書き込みを提出。弁護側から「その勇気がうらやましい」と皮肉られる始末だった。
検察はどんな気持ちで、この公判に臨んでいたのだろうか。私は、担当のコ・ピルヒョン検事の気持ちが知りたかった。10月19日、「懲役1年6月」という求刑がなされた公判の閉廷直後、まだ廷内に残っていたコ検事に「ご苦労さまでした」と声をかけた。
私の呼びかけを意外に感じたのか、求刑を終えた事で肩の荷が下りたのか、コ検事は戸惑ったような笑顔で「支局長こそ、長い間、大変にご苦労をなさいましたね」と、最も丁寧な言葉で労ってくれた。顔には、安堵が浮かび、検察官の威厳はなかった。
私がパク・クネ大統領の名誉を傷つけたとして、告発されてから無罪判決まで1年4カ月。パク政権をめぐる国際世論や、日本の対韓認識の悪化が進行する一方で、パク政権の目的だった「産経新聞懲罰」は何の成果もなかった。パク大統領の側近たちも、韓国の法務・検察当局も、「こんなはずでは…」という思いだったろう。
「産経新聞の支局長を、一気呵成の波状攻撃で揺さぶり、精神的に追い込んで謝罪を引き出し、記事を取り消させて産経の信用を内外で失墜させる目的だったのでしょう」。弁護方針の検討会で、パク・ヨングァン弁護士は韓国政府と検察側のシナリオを、こんなふうに読み解いてくれた事があった。
パク弁護士は高検検事長を2カ所経験している元検察高官だ。韓国の法務・検察の手の内を見通している。
検察は、韓国の右翼団体の告発を受けた翌日の2014年8月7日に私を出国禁止としたが、私には直接伝えられなかった。同年10月8日に起訴した際も抜き打ちで、メディア報道で知った。こうした揺さぶりは、先の見えない初めの頃こそ「今後、どうなってしまうのだろうか?」という不安を駆り立てる効果があったが、慣れてくると「あ、またか」となって効果は無くなる。
私の取材では、韓国側は産経側から早期に、謝罪と記事の取り消しを引き出せると踏んでいた。韓国側はまず、青瓦台高官による「民事・刑事で法的責任を徹底追及する」という発言で萎縮させ、検察に呼び出して取り調べて恫喝。謝罪の意思を確認したが、思うような成果は出せなかった。
早期の謝罪引き出しは難しいとみた韓国側は9月下旬、「遺憾」の言葉を引き出す戦術に転じた。国際社会では、事態が「政権批判をした外国特派員への弾圧」として定着し始めていた。韓国側は一刻も早く、状況を転換しなければならなかったのだろう。
私自身と産経の経営陣に「さっさと謝ってしまってはどうか」「遺憾という言葉だけでも表明できないか」などという“提言”や“助言”が多数、届いた。例えば、青瓦台に出入りして、意見を求められる事もある日韓関係専門の学者は、休日の早朝に電話をしてきて「日韓関係の悪化を心配している。遺憾ぐらい表明できないか。青瓦台も、振り上げた拳を降ろすタイミングを探っている」と。
しかしそもそも、日韓関係の悪化の事態を招いたのは誰なのか? 私はこうした発言の一つ一つに慎重に耳を傾けたが、パク大統領自身が事態を心配して、周辺と話し合っているという実感はついに持てなかった。一方、公判も論告求刑まで進んだ2015年の秋、もはや「謝罪」を得る事は不可能とみたのか、韓国側は「遺憾の意」を引きだそうと必死になっていた。
特に、ユ・フンス駐日韓国大使の働きかけは熱心だった。11月26日から12月17日に延期された判決公判の期日が迫る中、知韓派の国会議員や安倍晋三政権の中枢にも働きかけ、「産経の社長と面会だけでも…」と要請してきた。社は、こうした申し出を丁重に断ったという。
私の元には、ある新聞社の旧知のOBが20年ぶりに連絡をしてきた。面会すると、私に「会社を辞めて、遺憾の意を表すべきだ」と切り出してきた。これには、さすがに絶句してしまった。昨年夏の問題発生当初には、あまりの圧迫感から吐き気を催した事もあった。しかし、そもそも、私のコラムは刑事訴追されるようなものだっただろうか?
何度も自問してきた。結局は安易な謝罪、遺憾表明をしなくてよかったと思っている。水面下で話し合いを持って、遺憾の意など示して折れてしまえば、将来も問題を蒸し返されて、延々と弱みとなりかねない事は、日韓の歴史が証明している。中途半端な妥協をしなかったから、無罪となったと確信してもいる。
「無罪」判決確定まで500日余り。これまでご心配、ご支援をしていただいた方々に、この場を借りて改めて感謝の気持ちをお伝えします。ありがとうございました。
公平であるべき裁定の場を、トップの人間の感情だけで、罪の無い人間を刑罰に貶めようとする。あらためて、加藤支局長の「無実を勝ち取った」姿に感動すると共に、チョン国の愚劣さに怒りを禁じえない。「日本人には何をしたって許される。」チョン国すべてが、そんな感情だから発生した、民主主義国家では絶対起こりえない「独裁国」の所業じゃないかwww
加藤支局長を訴えるなら、まずは酋長が「7時間行方不明の時に何をしていたのか?」説明する義務があるはずだ。加藤支局長が書いた記事を見て激怒し、検事に名誉棄損で拘束するよう命じるなんて、「疾しい事があった」と自白してるようなものだろうにw 取り調べをした検事も、最初は「ちょっと恫喝すれば、言うとおりになるだろう」って考えだったんだろうねwww
>有罪の立証趣旨に合った、言論の専門研究者を証人として連れてくる事もできず、裁判長から証人の準備状況を問われて「現在調整中です」と応じる姿も苦しい。
>弁護側証人への尋問では、被告の悪意立証の証拠として日本のネット掲示板「2ちゃんねる」の書き込みを提出。弁護側から「その勇気がうらやましい」と皮肉られる始末だった。
クネのババアに「日本との関係が悪くなるから、訴えるのは止めた方が良い」と進言する側近が、誰もいなかったんだねwww 「コミュ障」のババアで有名だからなw 報告は、電話か文書かメール。与党の幹部との会議もしないで、取り巻きの数名と話をするだけw 記者会見は年に一回だけで、期初の質問は受け付けない。これでよく、国のトップが務まるなwww チョンの愚民にふさわしい「酋長」って事かwww
10月19日、「懲役1年6月」という求刑がなされた公判の閉廷直後、まだ廷内に残っていたコ検事に「ご苦労さまでした」と声をかけた。
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私の呼びかけを意外に感じたのか、求刑を終えた事で肩の荷が下りたのか、コ検事は戸惑ったような笑顔で「支局長こそ、長い間、大変にご苦労をなさいましたね」と、最も丁寧な言葉で労ってくれた。顔には、安堵が浮かび、検察官の威厳はなかった。
被告人に「ご苦労様」と言われて、笑顔で答える検事が、どこの世界にいるんだろう? 普通の国の裁判だったら、怒りで顔が歪んでるだろうにwww この検事も、酋長の圧力と世界全体からの中止で、ストレス山積みだったんだろうなw クネには、「支局長を一年近く拘束して苦しめて、結審する時三時間立たせたままで辱めたニダ!」とでも報告したのかなwww
>例えば、青瓦台に出入りして、意見を求められる事もある日韓関係専門の学者は、休日の早朝に電話をしてきて「日韓関係の悪化を心配している。遺憾ぐらい表明できないか。青瓦台も振り上げた拳を降ろすタイミングを探っている」と。
>ある新聞社の旧知のOBが20年ぶりに連絡をしてきた。面会すると、私に「会社を辞めて、遺憾の意を表すべきだ」と切り出してきた。
在日チョンだねwww 日本国内で、日本とチョン国の関係を心配している人間なんて、よほどの老害か、在日チョン以外に存在しないよw 休日の早朝に電話するなんてマナー知らずも、いかにも「チョン」らしい振る舞いw 何が「遺憾」の意だよ?チョンが拳を振り上げたからって、何が出来るというんだ?日本人だったら、「チョンなんかに負けずに頑張れ!」って応援するのが当たり前だろう!!!在日チョンは全て死に絶えてしまえ!!!
>ユ・フンス駐日韓国大使の働きかけは熱心だった。11月26日から12月17日に延期された判決公判の期日が迫る中、知韓派の国会議員や安倍晋三政権の中枢にも働きかけ、「産経の社長と面会だけでも…」と要請してきた。社は、こうした申し出を丁重に断ったという。
「誰にも相手にされなかった」って事だなwww この流れでチョンに肩入れなんかしたら、来年の選挙に大きく響いちゃうからねw 仮にも一国の大使なら、チョンの酋長のパシリなんてやってないで、日本国内の状況をつぶさに伝えて、チョン国に有利になるように忠言すべきなんじゃないのか?終盤になって産経の支局長に会いに行ったって、門前払いされて当然だろw 案の定、産経新聞の玩具にされちゃってるじゃないかwww
>そもそも、私のコラムは刑事訴追されるようなものだっただろうか?
本当に、そうだよねwww 朝鮮日報の記事を流用して、「噂」を付け加えただけだろう?「噂」の人物が問題だったんだろうねw 男妾との、7時間耐久SEXを取り上げられたのが、よほど「侮辱」だったのか?300人近くもの高校生が海底に沈んでいこうかって時に、SEXに勤しんでいた事実を追求されるのを妨げようとしたのか?逆に、世界中に「7時間耐久セックスしてました」と、宣伝しちゃったけどねwww
>水面下で話し合いを持って、遺憾の意など示して折れてしまえば、将来も問題を蒸し返されて、延々と弱みとなりかねない事は、日韓の歴史が証明している。
まったく、その通りだよwww チョンに「弱み」を見せたら、永遠に付け込まれてしまう。チョンなんかと付き合ったって、「千害あっても、一利も無い」のだ!安倍総理が去年やらせた外相同意は、最初は非難だらけだったが、今では「チョンを追い詰めるための計画」として、クネのババアを窮地に追い詰めているw SEXしか脳内に無いババアなんだw もっと苦しめてやれwww
「慰安婦」自称してる連中だって、若い時に腰を振って大金を稼ぎ、金が無くなったから泣き叫んで金をタカろうとする寄生虫だ!今年の日本の抱負は「チョン国との国交断絶!」もしくは「シナチョンを滅亡させる!」日本人の未来の為にも、チョンと共産党の息のかかった奴らは皆殺し!それくらいはやらないと、日本に明るい未来は訪れないよwww