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Channel: 憂国の志士のブログ
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日本がいなくてチョンどもに何が出来るの?現在のチョン国の凋落振りが、それを顕著に表しているだろw

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日本軍の存在なしに韓国軍はなかった 朝鮮戦争のエピソード


 「日本軍」と耳にした途端、血がのぼって荒れ狂う韓国の方々に教えたい歴史がある。それは、日本軍がなければ現代の韓国軍はなく、今の韓国もないという史実である。1950年に勃発した朝鮮戦争・釜山橋頭堡の戦いには、こんなエピソードがある。

 韓国軍のキム・ソクウォン准将率いる韓国第3師団約1万の将兵は、北朝鮮第5師団との戦闘で、東海岸の長沙洞付近に追い詰められた。壊滅の危機だった同年8月17日、国連軍のLST(戦車揚陸艦)4隻に分乗して無事撤退に成功した。このとき、艦橋に姿をみせたキム准将は驚いた。米海軍のLSTの乗組員は、旧日本海軍将兵だったからである。

 キム准将は、陸軍士官学校を卒業(27期)し、支那事変では連隊長として大活躍した。金鵄勲章まで受章した元日本陸軍大佐だった。「半島の英雄」として、日本でも広く名が知られていた。
その英雄が、朝鮮戦争勃発と同時に、韓国陸軍准将として再び戦場に登場したのだ。韓国軍の士気高揚に貢献しただけでなく、日本軍時代の名声と人柄に、韓国人の元日本兵らが先を競って集まったという。

 首都ソウルの防衛を担った第1師団長時代から、キム准将はカイザー髭を蓄え、その手には日本刀が握り締められていた。「軍刀は武人の魂である」という教えをかたくなに守り通していた。米軍事顧問団の制止も聞き入れず、常に最前線で陣頭指揮を執り、日本刀を振りかざして部下を奮起させた。骨の髄まで“日本軍人精神”が染み込んでいた。


 月刊誌『丸』(潮書房光人社)の1995年12月号に掲載された、高橋文雄氏の『最後の日本刀』によると、キム准将は先の海上撤退で艦艇に収容された後、それまで作戦指導中に片時も放さなかった日本刀を、南少尉に手渡したという。それは戦場における最後の日本刀だった。

 キム准将のほか、後の韓国空軍参謀総長となるキム・ジョンニョル将軍は、大東亜戦争緒戦のフィリピン攻略戦で武勲を上げた元日本陸軍大尉で、南方戦線では戦隊長として三式戦闘機「飛燕」で大活躍した。北朝鮮軍戦車に体当たり攻撃を敢行した飛行団長、イ・グンギ大佐も、加藤隼戦闘隊の撃墜王の1人だった。

 後の韓国空軍参謀長となるチャン・ソンファン中将や、キム・ソンヨ)将、韓国陸軍砲兵隊を育てたシン・ウンギュン中将なども、日本陸軍の将校であった。

 このように韓国軍を立ち上げた首脳部の多くは、日本の陸軍士官学校か満州軍官学校の出身者だった。このため朝鮮戦争での韓国軍は「米軍装備の日本軍」といわれ、戦争自体も「第2次日露戦争」の様相を呈していたという指摘もある。

 韓国の方々に言いたい。歴史を直視できない民族に未来はない。

 
言ったって無駄だよwww 「日本統治のほうが良かった」と言っただけの老人が殴り殺され、日本人を殺したテロリストが英雄視される民族なんだからw 「旧日本軍には、チョンの軍人なんて一人もいなかった」って事にした方が、お互いのためだと思うけどねwww


 チョンの愚民どもに、歴史を直視できるはずがないじゃないかw 二千年もの間、他国に隷属していた歴史しかないのだからwww 「半万年、チョン民族は世界を支配していた」って夢物語を信じていたほうが、幸せに決まっているからねw 心の底から、日本人に生まれて良かったと感じているよ。チョンなんかに生まれていたら、真実の歴史を知った次の日には、自殺しているだろうねwww  


踏みにじられた韓国、日本・米国八百長にまた当てられた

 根が深い木は容易に風に揺れないものだ。社会全般の雰囲気は言うまでもなく、いわゆる進歩勢力の中でも軽薄な議論があふれるこの時代に歴史を深く理解することが切実に求められる。このような考えで「ソ・ジュンソクの現代史の話」を続けている。ソ・ジュンソク歴史問題研究所理事長は韓国現代史研究を象徴する人物に選ばれる。毎月、ソ理事長を訪ね韓国現代史に関する考えを聞いて読者と共有しようと思う。八回目の主題は韓日協定だ。<編集者>
(中略:朴正煕―池田勇人会談など)

 プレシアン: パク・チョンヒ議長が「私たちの請求権は戦争賠償ではないことを確認する」 としたのも論議の的だ。

 ソ・ジュンソク:賠償請求権問題についても軍事政権が様々なことを十分考慮したかという問題を考える必要がある。
賠償と関連してサンフランシスコ講和条約がよく言われる。ところがこの条約を締結する時、フィリピン、インドネシア、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムがみな招待を受けた。
もちろんこれらの国が米国、オランダ、英国、フランスの植民地でありながら日本と戦ったことはある。

 それでも、韓国が1910年から1945年まで独立軍活動や独立運動で日帝と戦ったことと、これらの 国々が少しの間、戦ったことは比較にならないではないか。それでも韓国は招待を受けることもで きなかった。
(中国と北朝鮮も招待されなかった。対日講和条約はこのように日帝侵略の最大被害 者であり最も激烈に対立して戦った国々を排除したまま締結された。


<編集者>)このような点を考 えなければならない。

 もう一つ、賠償と関連して多くの韓国人によく分からない問題がある。サンフランシスコ講和条約で最も直接的積極的に韓国の参加を防いだのは日本だ。ところが日本はどういう理由で防いだのか、これをよく知らなければならない。
2001年、日本のテレビ朝日が報道したものだが、その報道によればジョン・フォスター・ダレス米国国務部特別顧問、後に米国国務部長官になる人だが、この人はサンフランシスコ講和条約の草案担当特使だった。この人の草案には韓国を対日戦勝国と明記していた。ところがこの人が吉田茂総理に説得され韓国が調印国に参加できなくなった。

 吉田茂総理は非常に強く反対した。吉田茂は韓国が調印国に参加してはならない理由を文書で提示したが、このようになっている。「韓国は日本と戦争状態になかったため、聨合国の一員と認定できない。」これはフィリピン、インドネシアなどについても同じように言えることだ。(吉田茂の論理のとおりなら、フィリピン、インドネシアなども韓国と同じように排除すべきだったが、そうはしなかった。<編集者>)そして韓国の独立軍は日本とずっと戦っていたではないか。これをどう見るかという問題だったが、日本側はそう主張して韓国の参加を防いだ。

 さらに大きな理由はまさにその後に出てくる。「韓国が調印国になれば韓国人が聨合国と同等な財産請求権と賠償金を主張するだろう。在日韓国人は100万人にもなるが、この人々が証明できない過度な賠償請求をする場合、日本は混乱を避けられない」、こういう話をする。(さらに吉田茂は日本にいる韓国人が大部分、共産主義者と主張した。事実と無関係に米国が拒否感を示す話だ。吉田茂とダレスは1951年4月23日、韓国をサンフランシスコ講和条約から排除するという内容の覚書を締結した。<編集者>)
(中略)

日帝35年支配に対抗しても、賠償を一銭も受けられなかった韓国

 プレシアン:日本に35年間踏みにじられたうえ、1951年には日本とアメリカの八百長にまたひどく被害をうけたわけだ。場合が違うが、1905年の桂-タフト密約(日本は米国のフィリピン支配を、米国は日本の韓国支配を認めるという密約)を思い出させる。

 ソ・ジュンソク:韓国と中国は他のどこの国よりも賠償を強く要求できる国だ。ところがパク・チョンヒ軍事政府はとてもはやく賠償問題をあきらめ、請求権交渉に入ったばかりか、請求権交渉さえすぐに金額問題に入ってしまう。'良い条件にしてくれれば良い'という姿勢だ。

 真実の歴史を知っていたら、とてもじゃないが、こんな馬鹿丸出しの発言は出来ないねwww アメリカさえも敵に回すつもりか?日韓基本条約で、何千億円もの金を手に入れているくせに、また金を出せと言う厚顔無恥w しかも、チョン国は「国」ですら無かった。日本と同じアメリカ軍の占領区内、「勝利者」なんて口になんて出来ない立場なのだ。こんな馬鹿な発言、よく出来たものだなwww


 チョンと話し合いなんて時間の無駄だ。相手は人間じゃないんだから。目の先の利益だけで動く、「虫」以下の存在だ。土人以下の存在から、先進国並みの生活環境や教育を施されたくせに、それには一切感謝をしないで謝罪と金を請求するなんて、畜生以下だ。獣でさえも、餌を貰えば恩を返すぞ。


 昔にはチョンどもにも、日本政府の慈悲による教育効果で、日本人並みの教養と道徳を備えていた人たちもいたんだろうね。だけど今のチョン国には、冷静に日本を見極め、チョン国の悪しき所を還元できる人間は指で数える程度しかいない。もはや日本人の堪忍袋の緒も切れた。チョンどもはすべて中国人の奴隷として、土下座しながら生きていけばいい。自分の愚かさと無知と恥知らずをかみ締めながらねwww 


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